皆さん、こんにちは。暑い、暑いと言っていても朝晩過ごし易い時期になってまいりましたね。さて、今回はご寄稿いただける34回生さんを探していたのですが、とうとう見つからず、同期の秋山優子さんに、直前になって原稿を泣きついてしまいました。その際にすぐに、快く引き受けて下さったのですが、改めて、皆様よりお先に原稿を読ませて頂いて、秋山さんが歩んでいらしたご経験(目の前の困った人を助けていらしたご実績)が、そうなさって下さったのかなと感じました。

さあ、同期の私も存じ上げなかった秋山さんのお話をお聞きしましょう。秋山さん、どうぞ!

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皆さん こんにちは、16回生の秋山(旧姓伊藤)優子です。

渡部 敦子さんより寄稿依頼をお受けしたものの、何を書こうか悩みながら8月末を迎えて、まるで夏休みの宿題に追われている子どもと同じ心境です。

現在私は、放課後児童クラブ(通称学童保育)の支援員として働いています。夏休み中の学童の勤務は長く、夏休み終盤で疲労が溜まっていましたが来週からは2学期が始まります。毎晩お風呂上りのアイスでエネルギーチャージして乗り切っています。

そもそも英文科を卒業した私が学童なのか、これまでの私の事をお話しできたらと思います。

平成元年に結婚、夫の実家のある武蔵野市(吉祥寺のある市です)に住むことになりました。専業主婦で一男一女を育てていましたが、「公園デビュー」や「ママ友」「○○ちゃんママ」といった言葉がしっくりこなくて、上の息子が幼稚園の頃は市報で託児付き市民講座の募集を見つけ下の娘を預けて受講することが息抜きでした。子どもに振り回される毎日の中に社会と繋がっている少しの時間があるだけでも、子育てのイライラを沈めてリフレッシュすることができました。なかでも「保育サービス講習会」は、子どもを預ける側から預かる側に変わるきっかけとなる講習会でした。

下の娘が小学校の頃、発足したての子育て支援の市民団体に参加、電話で依頼が入った時だけ個人宅やコミュニティーセンターで託児する有償ボランティアを始めました。託児依頼は単発で僅かの時間ですが「○○ちゃんママ」から「秋山さん」と名前で呼ばれることが新鮮であり個人として地域と繋がった気持ちになれたことを思い出します。

また、私の住む武蔵野市は子育て支援に力を入れており、市立小学校の空き教室を活用して放課後児童の居場所として「地域子ども館あそべえ」という自由来所型の仕組みが平成15年にスタートしました。自分の子どもが高学年になり時間に余裕ができた私は、市の臨時職員として週3日程度のアルバイトを始めました。自分の子に対してはゆとりがないのに、あそべえに来所の子どもには第三者として遊んだり、工作したり、話を聞いたりと楽しむことができました。

我が子が中学生になった頃、あそべえ勤務のすきまの時間に前述の子育て支援団体の事務局の手伝いをすることになりました。任意団体からようやくNPO法人になり拠点となる事務所を構えることできるようになった時期、事務局は子育て中の主婦達が、来れる人が来れる時に手弁当で支えていました。2年ごとに行われる理事の改選でNPO法人の運営については全く知識がないのにもかかわらず、私は平成21年に「保育サービスひまわりママ」の理事長に就任しました。私自身は子どもの高校受験を控えており、性格的にも周囲と協調していくタイプのため代表には力不足と固辞していましたが、前任者の強い説得と自分がやっている後姿を子どもは必ず見ているという言葉に強く背中を押されて、強力なサポート要請を条件に引き受けることになりました。

当初は、2年間の任期を何とか無事に乗り切り次期にバトンを渡す覚悟でいましたが、時代は少子高齢化や女性の社会進出により待機児童対策が社会問題となり、平成27年には子ども・子育て新制度が施行されました。それに伴い子育て支援を掲げたひまわりママは、行政との協働で病後児保育室を開設。矢継ぎ早に10人定員の小規模保育室3施設と特別養護老人ホームと協働して事業所内保育室も開設しました。子どもを保育園に預けたこともなく保育士の資格もない私には全く未知の世界でした。もちろんプロジェクトを立ち上げ保育事業、採用、総務等の業務を分担するものの、保育士不足は最大の壁でした。せめて自分に保育士資格があればとの思いから50歳にして保育士資格試験を受験して3年目にしてようやく保育士資格を取得。受験書類に最終学歴の卒業証明書の提出があり卒業後数十年振りに県短にお願いしたことをうっすらと覚えています。

英文科の友人と東京桧原村にて
右から、鹿野緑さん、細貝千枝子さん、
佐藤益子さん、秋山さん

 

 

 

その後、小規模保育室の設置だけでは待機児童対策にならず、子ども子育て新制度ではNPO法人が認可保育所を運営することが認められました。女性団体で、NPO法人で、資金力もない中で、就学前まで切れ目のない保育を実現するため、運営規程・就業規則・資金計画・採用計画等々、無我夢中で東京都への認可申請を行いました。そして、平成30年念願の認可保育園「ひまわり保育園」を開園することができました。開園にこぎ着けても保育園を安定的に運営することは更に難しく、保育士の確保とコロナ禍の保育と次々に課題と向き合ってきました。

2年間のつもりで引き受けた代表でしたが、地域の子ども達は地域で育てるという時代のうねりの中で、NPO法人としての社会的な責務とニーズに応えたいという強い思いで12年もの間理事長を続けることになりました。仕事を優先するあまり家族に迷惑かけて不協和音が起こることも、友人との旅行中緊急電話が入り旅先で仕事をすることもありました。今は、多くの方に支えてもらい、沢山の方に出会い想像もしなかったような経験をさせてもらったことに心から感謝しています。

そして、今年4月から一念発起し、保育士資格とこれまでの経験を生かしたいと思い学童クラブ支援員になりました。子どもとじかに触れ合える現場は肉体的にはきついですが、なかなか馴染めずにいる子どもと心が繋がった時はジグソーパズルのピースがピッタリは
まったような達成感を味わえる瞬間です。

家庭に問題がある子ども、発達に問題がある子ども、いつもトラブルを起こす子どもなど十人十様の子どもたちが少しでも来たくなるような学童クラブにすることも子育て支援のひとつの形だと思っています。60歳を過ぎてのセカンドステージを肩の力を抜い
て楽しいものにしたいと思っています。

最後までお付き合いいただいありがとうございました。「地域子ども館あそべえ」や「保育サービスひまわりママ」に興味を持たれた方はHPがありますのでご覧ください。

友人のご子息の個展の絵をバックに

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優子さん(実はいつも優子さんと呼んでいたので、秋山さんより、優子さんという呼び方がしっくりきます。)ありがとうございました。実は広報事務局である私、渡部敦子も中学校に勤務しており、色々なお子さんを見るにつけ、地域での温かい眼差しの子育ての必要性を痛感しております。秋山さん、将来の社会を担う子ども達の為に、そして、疲れちゃっている保護者さんの為にありがとうございます。ゆるゆると頑張って下さいね。

さて、来月以降のご寄稿予定の方々です。
10月 25回生 笠原(旧姓 橋本)文子さん
11月 12回生 糀(旧姓 西端)康子さん
12月 20回生 谷(旧姓 前田)ひろみさん
1月  岡村 仁一先生(1997年4月~2000年3月ご勤務)
2月  28回生 大野(旧姓 太田)安記さん
3月   8回生 広川(旧姓 大野)純子さん
4月 22回生さんからお願いします。(依頼中です)
5月 生田 省吾先生(1978年10月~1981年3月)です。お楽しみに。
↑6月以降は毎月24日更新のホームページの内容検討中でございます。(「私の趣味・仕事」と地域を紹介する「特派員便り」は随時、絶賛募集中ですので、こちらもよろしくお願いいたします。)
きらりシュリンプ人に関しましてのご意見、ご要望、ご感想、この方のインタビューを聞きたい、ご紹介したいというのがございましたら、シュリンプクラブ広報事務局kentanshrimp@gmail.comまでお寄せ下さい。また、突然のインタビューを依頼するかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。
では、また24日にお会い致しましょう。 シュリンプクラブ広報事務局 16回生 渡部敦子