皆様、こんにちは。
遠い昔のことを思い出して下さい。授業の予習や復習等で学びを深める時に、お楽しみの読書の他に、授業の関連図書を図書館に探しに行った時は、ございませんか。その時に、うろ覚えや断片的な知識の寄せ集めの状態のままで、探したい図書を司書さんから助けて貰った経験はどなたもお持ちでいらっしゃると思います。
今月は、定年退職をされるまで約40年に渡り、新潟県高等学校の司書をされてきた成田さんのご登場です。では成田さん、よろしくお願いいたします。
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皆様、こんにちは。私は短大を卒業して約50年、半世紀になります。どう過ごしてきたのでしょう?
先ず、短大ではどうだったのか。
入学間もない頃、秋田出身のIさんが、在学中に他大学の司書補講習を受講すると言うので、私も興味があり、2年生の夏休みに鶴見女子大学司書補講習を受講し資格を得ました。運良く新潟県立高校司書(行政職事務枠採用)の採用試験があり受かりました。定年60歳までの約40年間勤務しました。
さて、50年程前です。短大英文科の先生方は専任で、講義の密度は高かったと思います。英文法の杉山先生、古英語の渡辺淑子先生、そしてホイットマンの長沼先生。講義の他でも長沼先生は、優しく私は先輩と一緒に汐見台のお宅を訪ねたことがありました。
一般教養科目では、新大の先生方が多く物理は斎藤文一先生(宮沢賢治研究者)でした。斎藤先生からは、南極観測の珍しい物を見せていただき、本の話も沢山聴きました。
体育は、幼児教育科の松木先生で甘やかされませんでした。縄跳び二重跳び連続100回以上、追試は何回でも可。数回しかできなかったが、練習を重ねて1回目の追試で合格。練習すればできる体験でした。野外活動は、楽そうに思えた登山を選びました。私は弥彦山634mしか経験がありません。参加者は、富山出身で立山、長野出身の北アルプス登山経験者もいました。周囲に心配されたので、行くまで縄跳びで足を丈夫にしようと心掛けました。妙高山・焼山・火打山縦走2泊3日の行程。何とか皆に遅れないように下山できました。しかし、天候の影響で糸魚川に着いた時は暗く終電に間に合いません。転勤していた叔父の家に泊めてもらうことができました。予定通りいかないものだと通感しました。
初代学長の田沢先生、退職前(わたしの好きな本)の特講が階段教室で開催されました。田沢学長は、生物学者で牛の目のような大きな瞳で人を優しく積み込む眼差しでした。卒業式では、学生一人一人に証書を手渡して下さいました。
卒業後、県立高校の司書として4カ校で勤務しました。
1校目では、長沼先生の新大の教え子で英語教師(高校の先輩)が、新採用の私にいろいろアドバイスしてくれました。3校目には、方言研究者で国語のK先生が、短大の福島秩子先生の話をされました。4校目の三条高校は、長沼先生の母校であることがわかりました。同窓会記念誌『想痕』に関雄一氏による紹介があり、長沼先生の顔写真も掲載されていました。私は困った時、柔和な顔の先生の姿に励まされました。関氏は『「草の葉」の人』を書かれて、若くしてアメリカに渡られた長沼青年の一生を知ることができます。
ところで、仕事に就いたものの一人では解らない事が多々ありました。2年目の夏休みに、図書館短大の司書講習を受けてみると、受講者は大学・専門図書館・公共図書館の職員・管理職の方々。仕事に戻り現場での対応に少しずつ慣れていきました。
一方3年目頃から、自分の国語関係の知識の不足に気づき、法政大学日本文学科の通信教育を始めました。夏休みにスクーリングで上京し、講義を受けて、休日には美術館・博物館を見学するようにしていました。その後、質問された資料は探せばきっとあると思い、楽しみながら仕事をするようになりました。
就職した20代前半頃、他校の司書先輩に誘われて、南アルプス縦走・飯豊連峰縦走の3泊4日等を体験しました。近年は、体調もあり里山程度ですが、短大での経験があればこそできたと思います。
県短4代目の島津光夫学長の『私の八十年』に短大学科拡大に奔走された話があります。そこに当時県参与だった小熊博氏にふれてありました。小熊氏は、私が三条高校勤務の頃事務長でした。退職する日の私に、転職先の新潟から花束を持って駆けつけてくれました。当時家族の悩みを抱えていた私を、いつも穏やかに見守ってくれました。定年まで働き続けられたのは、周囲の方々の理解と支援のお陰と感謝しています。
さて、退職後に母の残した着物を着ようと着付け教室に通い技能士の資格を得ました。
市の祭り行列参加者の着付けボランティア等をしていましたが、2020年ころからの新型コロナ禍で祭行列も中止になり暫くお休みしています。着物を着る機会を持とうとお茶を習い、茶会にも参加していたのですがお休みです。地元の公民館協力委員に委嘱されましたが中々会議にでられません。
最近は図書館の読書会の仲間3人で、隔週の電話座談会(読書・政治・音楽時々英語混入)をしています。
近所の花友達96歳Hさんは「花は毎年咲くからいいね」と言いオキザリスの株を分けてくれました。昨年晩秋に生垣のタマツバキの下に植えておきました。冬には屋根の降雪で深く埋まり、花が咲かないかと思っていました。翌春には、葉が広がり花芽がつきしばらくすると、こぼれる程花を咲かせました。待ってみよう、きっと咲くから。来年が楽しみです。
皆様がそれぞれの場で春を迎えられご活躍されるようお祈り致します。
最後に長沼先生、すでに旅立たれた恩師の方々のご冥福をお祈りいたします。
(↑差し替えられた萩のお花のお写真です)
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成田さん、ありがとうございました。誠実なお人柄が感じられるご寄稿でしたね。実は、原稿を広報担当渡部の所にご郵送下さった際に「資料になるでしょうから」と、丁寧にみゅうずの冊子のバックナンバーを番号順に、そして、その他の有用な資料も、渡部が仕事をしているだろうからと、渡部が自宅に帰っていそうな時間帯をご指定して送って下さいました。このように細やかなお心遣いをなさって下さるところが、長年、図書館で縁の下の力持ちの役割をなさって来た方だと思われました。今回、実は原稿掲載予定の月を繰り上げたら、季節のお花を今の季節に合うように差し替えて下さいました。このような、臨機応変に対応して下さるところも、本当に周りが仕事をし易いように心を配っていらした方なんだなぁと実感致しました。
さて、来月以降のご寄稿予定の方々のご紹介です。
6月 Alan Smollen先生
7月 佐々木 充先生(昭和51年~昭和55年までご勤務。「無有斎随筆」というブログでご近況を書かれているそうです。)
8月 27回生 樋口(旧姓 解良)育美さん
9月 34回生で交渉依頼中
10月 25回生 笠原(旧姓 橋本)文子さん
11月 12回生 糀(旧姓 西端)康子さん
12月 20回生 谷(旧姓 前田)ひろみさん
1月 岡村 仁一先生(1997年4月~2000年3月ご勤務)
2月 28回生 大野(旧姓 太田)安記さん
3月 8回生 広川(旧姓 大野)純子さん
4月(最終回) 22回生さんからお願いします。(依頼中です)お楽しみに。
↑5月以降は毎月24日更新のホームページの内容検討中でございます。(「私の趣味・仕事」と地域を紹介する「特派員便りは随時、絶賛募集中ですので、こちらもよろしくお願いいたします。)
きらりシュリンプ人に関しましてのご意見、ご要望、ご感想、この方のインタビューを聞きたい、ご紹介したいというのがございましたら、シュリンプクラブ広報事務局kentanshrimp@gmail.comまでお寄せ下さい。また、突然のインタビューを依頼するかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。
では、また24日にお会い致しましょう。 シュリンプクラブ広報事務局 16回生 渡部敦子