皆様、こんにちは。秋も深まって参りましたね。皆様はどのようにお過ごしですか。今月はアクティブな笠原さんをご紹介致します。笠原さんに原稿を書いて頂いたらどうか?と同期の橋本和泉様からご紹介を頂きました。その太鼓判通りの素敵な方です。それでは、どうぞ!

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『30年後の私から20歳のわたしへ』

この原稿のお話をいただいて、学生時代のことを懐かしく思い出しながら、私は何度も何度も書き直しました。ところが何度書き直してもしっくりこない。ああそうか。私が書きたかったのは、メッセージを伝えたかったのは、他の誰かではなく、30年前の私だったんだ。今回はこの場を借りてあの頃の私に手紙を書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

親愛なる文子。こんにちわ。私は30年後のあなたです。ピチピチで恐れるものなんて何もないっていう若さど真ん中のあなたからは随分遠いところにいると思うでしょうね。でも30年なんてあまりにも長いようで、びっくりするほど早かったよ。これからあなたにどんなことが起きるのか、ネタバレするかもしれないけれど、人生の岐路であなたが動けなくならないように、全部大丈夫だよって伝えたくてお手紙を書くことにしました。

それにしても短大時代は楽しかったね。家庭の事情で第一志望校を目指せなかったけれど、最高の仲間、先生方に恵まれて、世界が一気に開けて県短に進学して本当によかったよね。何と言っても、グリーンサイクル部に入部したあなたの選択は間違ってなかった!マッキー先生に出会い、アウトドアの魅力を徹底的に教わったことで、それからの人生に大きな楽しみを見つけられたんだよ。バイクの免許を取ったり、キャンプ、焚き火、カヌー、ロードレーサーに乗ってあちこち旅したり。50歳を過ぎた今でも、私にとっての野遊びは、魂が歓喜する何よりもの楽しみになっているの。だからその趣味、ワクワクを持ち続けてほしいな。辛い時、焚火の揺らぐ火を見ているだけで癒されることになるから。

 

 

 

 

 

 

そうそう、マッキー先生が、夏の北アルプス登山合宿の後、新潟駅近くのバーで、清酒八海山をご馳走してくれたこと、今でも覚えてる。登山後の疲れた体に染み込んで、それはもうびっくりするくらい美味しかったの。

英文科の太田正之先生も大好きだったな。太田先生のゼミの人数が少ないことをいいことに、生意気にも授業のやり方について意見してみたり、好き勝手にやらせていただいたにも関わらず、いつもいつも味方でいてくれた先生だった。グリーンサイクル部で学園祭でお化け屋敷を企画運営した時も、一番最初にお客さまになってくれてアドバイスしてくれたり。しばらく年賀状のやり取りもさせていただいたのに、最近は・・。どうされているかな。心からお会いしたい先生です。

 

 

 

 

 

 

お会いしたいといえば、ALTのTom Going先生。クリスチャンだったということもあり、とても紳士的でチャラチャラしたところが一才なく、これまでのアメリカ人のイメージを覆してくれた方。おまけにかっこよくて、私は完全にトムに恋をしていたんだよね。お母さんが亡くなった時、誰よりも寄り添ってくれたのはTomだったの。今頃どこでどうしているかな。もしこの原稿を書くことで何かの縁がつながって、もう一度Tomと会えるなら、こんなに嬉しいことはない。太田先生とTomに会いたいって宇宙にオーダーしておくね!

 

あんなに頑張って試験に受かった中学校教員は、なんと2校目で退職します。英語を教えるということに命を燃やせなかったんだと思う。でも素敵な先生、強烈な子供たち、素朴な環境などなど20代前半学校現場で働かせていただいたことは今でも宝物。びっくりすることに、その時同僚だった先生が、なんと今あなたの娘の中学校の学年主任として赴任して来て、とっても変な感じよ!

どうしてもモンゴルに行きたくて、教員やめて海外青年協力隊になろうと決意して説明会にまで行ったのに、南魚沼市で地域コミュニティFMラジオ局が立ち上がるということを知って、紆余曲折ありながら、あなたはアナウンサーとして転職を果たします。開局したばかりということもあり、会社自体が新しく、いろんなことにチャレンジしたし、勤務時間もあるようでない中、がむしゃらに突っ走ってた。でもこれはまさに天職だ!!って思えるほど、最高に濃い時間になるから、ビビらず転職してOK。お給料は相当ダウンしたけど、これほどの出会いと学びのある職場は他にないと思うよ。経験値も上がるまさにプライスレスな職場。

その間痛い恋愛もしながら、最終的に地元の素敵な男性と巡り合って結婚します。私には勿体ないくらいの人がちゃんと現れるから、「結婚できないんじゃないか」というような心配はしなくて大丈夫。どんな人でどんなふうに知り合うかは内緒にしとく。だってそれこそ恋の醍醐味でしょう(笑)

働きながら二人の子供も授かるよ。そして流産経験もすることになる。さらに言うと、びっくりしないでね。あなたの最愛の人が病気で亡くなってしまうの。子供たちが小さいうちにね。そんなこと聞いたら、あなたがその人って決めた人と結婚するのが怖くなるよね。そんな辛い目に遭うくらいなら違う人にしておこうって。でもね。それは確かにそうなんだけど、恐れや不安を遥かに凌駕するくらい素敵な人なんだ。それ以上の人なんてこの世にいないって確信できる人なんだ。誰かに無条件で愛されて味方になってもらえて、なんでも話し合える存在がちゃんといたってことが、あなたに愛のあり方を刻んでくれるから。だからタイムマシンでその時に戻れたとしても、私はやっぱり別の人を選べない気がしているの。

実際、義母の手助けがあるから、一人で子育てするわけじゃないけれど、精神的な支え、宇宙一の話し相手を失ったあなたは相当苦労する。寂しくて心がぺちゃんこになることがたくさんある。泣いても泣いても涙が止まらず、いっそこのまま死んでしまいたいと思う夜もある。だけど子供たちの存在があなたの生きる意味になる。3年も経てばちゃんと自分で前を向けるようになる。そして不思議な話だって思うかもしれないけれど、あなたには、地球に生まれてきた瞬間から今の今まで、あなたと共にいてくれるハイヤーセルフの存在がいるの。あなたがその存在を知らなかっただけ。だから本当は一人ぼっちじゃなかったんだよ。

宇宙の高い視点からものを見ているハイヤーセルフという存在は、あなたの人生がよりよくなるように、目の前にたくさんの現象を落としてくれる。お母さんが亡くなったこと、最愛の人が亡くなったこと、そしてあなた自身も大病をしてしまうこと。全部全部、こんな経験したくなかったということばかりだけれど、それがあってよかったとは一生思えないと思うけど、間違いなく、その現象がったおかげで51歳の私は今この地点に辿り着けたの。現象を乗り越えるたびにあなたは少しづつ強くなってきた。そして誰よりも優しくなってきた。そしてそれが必ず誰かの光になる時が来る。

だから、どうか恐れないで。何が目の前に現れても、それはあなたにとって必要なことだから。人生がよりよくなるために、必要なことが必要なタイミングで起きているだけ。それを乗り越えた先にはとんでもない未来が待っている。ハイヤーセルフがちゃんと導いてくれる。あなたが行くべきところにね。だから安心して、目の前の展開に委ねていていいから。力技で無理やりその現象をなんとかしなくちゃと頑張らなくていいから。あなたがそう意識してくれさえすれば、必ず良き展開になるから大丈夫。

そのために必要なことをいくつか伝えておくね。それは常に自分から出ているエネルギーを強く高くしておくということ。あなたが出しているエネルギーが磁石となって、現実が引き寄せられるから。あなたからどういうエネルギーが出ているかに、いつも注目しておいてほしいの。自分をリラックスさせて心地よく気分よくいさせてあげること。自分を我慢させないで、とにかく、自分が気持ちいい方を選ぶようにしてね。お姫様扱いしてあげてね。

子供が生まれると、つい子供最優先になって自分が後回しになる。それは親心として誰もが持っている母性愛なのかもしれないけれど、それを長いことやってしまうと、自分が本当はどうしたいのか、どうであったら心地よいのか忘れてしまうの。お母さんである前にあなたはあなた。あなたの小さな心の声に耳を傾けてあげてね。「本当の本当はどうしたいの?」「お金も自体も家族も仕事も、何もかも関係ないとしたら本当はどうしたい?」っていつも聞いてあげて。それをしっかりやっていれば、あなたのエネルギーが高く強くなって、望む現象がどんどん目の前に現れてくるから。

私も、最愛の人がいなくならなければ、あれほどのどん底を味わうことがなければ、これほど多くの学びや気づきを得ることができなかった。エネルギーのことなんて気にすることもない人生だったと思う。でも今までの全部がここにつながっていると思えば、経験したくはなかったけれど、きっと私が強く優しくなるためには必要なことだったんだよね。

でも心配しないで。あなたのここからの30年は辛いだけじゃ全然ないから。何より最愛の子供たちと共に歩む人生は大きな喜びと感動の連続で、子育ては親として成長できる貴重な機会だし、人生どのシーンでも必ず必要なサポート、手を差し伸べてくれる人が現れます。お金にも困りません。20代の頃の劇団活動なんて、今振り返っても歓喜でしかなかったし、どの仕事もやりがいのある仕事でした。あなたが今から、ハイヤーセルフの存在に気づいて共に人生を進んでいくなら、間違いなく私が感じたこれほどの孤独や辛さ、苦しさには出会わないはず。だから恐れず、自分を大切に進んでいってください。選びたい方を、喜び楽しみの方を選んでください。

さて、51歳の私が20歳のあなたに今、伝えられることはここまで。ここからも私はあなたに伝えたように、自分から発するエネルギーに注目して、とことん自分に寄り添って、自分の内側の声に耳を傾けて、真の使命に気づいてお役目を果たしたい。唯一無二の富士山のような存在としてどこかの誰かの光になりたい。その結果として、どういう現実が目の前に現れてくるのか。ここから先のことは、私自身も60歳の私、70歳の私から手紙が届くのを待つことにしましょう。

びっくりすることもたくさん書いてしまったけれど、最後まで読んでくれてありがとう。文子、あなたは絶対大丈夫。幸せにしかならないから安心していてね。文子としての一度きりの人生を歓喜で生きてね!

2022年4月にご寄稿頂いた傳川紀子さんと

2022年10月   51歳の文子より

このような貴重な機会に、個人的な手紙を書かせていただきましたこと、お許しください。これを書きたくて私は今まで原稿が書けなかったんだと思います(笑)何より、原稿を依頼してくださってから、実に1年半、完成を待っていてくださった担当の渡部敦子さん。励まし続けてくださって本当にありがとうございました。

太田先生、TOMに会えますように。

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笠原さん、ありがとうございました。広報事務局として、いつも思うのですが、原稿を下さっている卒業生、お一人、お一人素敵ですよね。今月もその思いを強く致しました。学生時代ももちろん輝いていますが、その後の生き様が、素敵ですよね。原稿依頼はなかなか正直しんどい仕事ではございますが、このように素敵な文章を頂けることで、その疲れ?を癒して貰っている気分になります。
笠原さんは、途中でパソコンが壊れて、新たに買い替えて、それも新しい機種の操作を頑張って原稿を送って下さいました。本当にありがとうございました。

さて、来月以降のご寄稿予定の方々のご紹介です。

11月 12回生 糀(旧姓 西端)康子さん
12月 20回生 谷(旧姓 前田)ひろみさん
1月  岡村 仁一先生(1997年4月~2000年3月ご勤務)
2月  28回生 大野(旧姓 太田)安記さん
3月   8回生 広川(旧姓 大野)純子さん
4月 22回生さんからお願いします。(依頼中です)
5月(最終回)生田 省吾先生(1978年10月~1981年3月ご勤務)お楽しみに。

↑6月以降は毎月24日更新のホームページの内容検討中でございます。(「私の趣味・仕事」と地域を紹介する「特派員便り」は随時、絶賛募集中ですので、こちらもよろしくお願いいたします。)
きらりシュリンプ人に関しましてのご意見、ご要望、ご感想、この方のインタビューを聞きたい、ご紹介したいというのがございましたら、シュリンプクラブ広報事務局kentanshrimp@gmail.comまでお寄せ下さい。また、突然のインタビューを依頼するかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。
では、また24日にお会い致しましょう。 シュリンプクラブ広報事務局 16回生 渡部敦子