朝げと晩方し、だんだん、さーみぃなってきたろも、おめさん方はなじらね?(新潟県の中越地域での方言で「朝晩寒くなってまいりましたが、皆さんお元気でいらっしゃいますか。」という意味です。)のっけから、方言でスタート致しましたが、我らが県短には、新潟県以外の地域から海老ケ瀬で下宿をなさっていらして来た学生さんが多かったですよね。その方々とお話しているうちに、自分たちが標準語だと思い込んでいた言葉が実はローカルなものだったと軽い衝撃?を覚えたことを思い出しました。
今月は、やはり突然のお電話にも関わらずにご寄稿をご快諾して下さった糀(旧姓 西端)さんのご登場です。糀様も故郷を離れて、新潟弁に遭遇?したお一人でいらっしゃいますね。では、糀さん、よろしく頼むいね(お願い申し上げます)。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
皆様、こんにちは。
卒業して40年余が経ってしまいましたが今でも心に残っている新潟の思い出。
冬の吹雪の迫力と雷。そして少し東北訛りに近い(と、当時の私の主観です)方言。
「〇〇だすけー」という言葉は何度も耳にするにつれて、ほんわかした、のどかな気持ちになれたものです。
慣れない一人暮らしにホームシックになったこと、そんな時に下宿の大家さんのうちで夜遅くまでみんなで、いろんな話で盛り上がり笑い転げたこと。(当時の「斉藤荘」の大家さん御一家、本当にお世話になりました!)
そんな新潟での2年間の生活は今でも私の宝物です。
卒業後、残念ながら英語を生かした職業にはつけませんでしたが、短大の2年間で身につけたことについて、2つお話したいと思います。
第一に、「諦めない心」。ご多聞に漏れず当時の体育の単位取得は、とてもユニークでした。そのひとつ、縄跳びの連続二重飛び。(私の記憶では当時30回だったように思いますが、先輩方のお話ではもっと回数が多かったみたいですが)これが大変。元々、運動音痴で2重飛びなんて一度もできなかった私は、それが単位を取る条件と聞いて、慌てました。夏休みに実家に帰って練習に励みましたが、たまには成功しても、連続跳びはなかなかできませんでした。毎日毎日根気よく練習しましたが、もう自分には無理、単位もらえないかも、と諦めかけたときです。ジャンプが高すぎてもダメ、手首を回しすぎてもダメ、要するに力が入りすぎるのが逆効果、ということにやっと気がつきました。それからぐんぐん回数が伸び、ついに目標達成!夏休みの間、毎日縄跳びには励んだおかげで、一人暮らしで栄養が偏って体重が増えた体の、ウェストが大幅に細くなった、というおまけ付きでした。
あの縄跳びは本当は回数なんて関係なかったんだな、と何年も経ってから思いました。何回もトライしてダメで、諦めようかと思ったけど、あとほんの少しだけ頑張ってみようと思って開けた最後の扉で努力が実るんだ、という事。それに気づかせてもらいました。卒業後もそれを思い起こす機会が何度かありました。ユニークな単位を考えて下さった松木先生(スポーツマンらしく日焼けされたお顔を今でも覚えております)に、今はとても感謝しております。
第二に、一般教養で学んだ「簿記」。なんとなく選択した教科でした。学んだのは簿記の入門編だったかと思いますが、簿記の原理について「けっこう面白いな」と思いましたが、卒業後はずっと忘れていました。
が、それから20年以上経ってから縁があって入社した会社で何故か経理担当になり、そこから10年余り経理一筋となりました。短大時代に学んだ簿記を思い出してその面白さが、よみがえりました。私は数字が嫌いだったのですが、数字というものは、普段から丁寧に?扱ってあげたら決算期に慌てなくても大丈夫、ということも悟りました。英語関連の仕事には就けませんでしたが、一般教養科目が将来の仕事に繋がるとは、不思議な縁だと思います。
現在はまた別の仕事に就いておりますが、簿記の資格だけはもっていたいと思い、独学で日商検定2級を取得しました。2級合格は独学ではなかなか大変で、3度目の正直で、これまた諦める寸前に合格した次第です。ここにも「縄跳び」で学んだ経験が生きた、と思っています。そして現在も、自営業を営む息子の店の経理に携わっています。
大好きな英語に浸りきって過ごした2年間は人生で最高に幸せな日々だったと思います。しばらくそんなことも忘れそうになっていましたが、今の自分に至るまでの、ひとつの土台だった。人生はどこで何が役に立つのかわからない。改めてそう感じています。
今回の原稿の依頼をいただき、どんな事を書こうかなと思って短大時代を思い出していましたら、たくさんの楽しい思い出ばかりが蘇り、まとめるのに苦労しました。昨今のコロナ禍の他にも嫌なニュースをたくさん耳にする中でとても楽しい苦労?でした。このような機会を頂けて、ラッキーだったなあ、と思います。
新潟には久しく出向いておりませんが、昔とは風情が全く変わっていることと思います。それでもまたぜひ、機会を作ってでかけたいと思っています。
最後になりますが、先生方、卒業生の皆様方、1日1日を大事に、健やかに過ごされることを祈っております。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
糀様、ありがとうございました。糀様の原稿を拝読して松木先生(先月の笠原さんの記事にも思い出の中で出ていらっしゃいましたよね)の体育の厳しさ(実は愛情)を思い出しました。私も就職先が決まったのに、卒業間際までなかなか二重跳びが出来ず、県短の体育館で半ベソをかきながら、練習した思い出が蘇りました。
今回、糀様が送って下さった画像は毎年、富山県砺波市の夢の平スキー場で開催されている「となみ夢の平コスモスウォッチング」のお写真だそうです。美しいですね。また、ひまわりとコスモスの共演も美しいですね。砺波市に行きたくなりましたいね。(行きたくなりました。)糀様ありがとうございました。
さて、来月以降のご寄稿予定の方々です。
12月 20回生 谷(旧姓 前田)ひろみさん
1月 岡村 仁一先生(1997年4月~2000年3月ご勤務)
2月 28回生 大野(旧姓 太田)安記さん
3月 8回生 広川(旧姓 大野)純子さん
4月 22回生さんからお願いします。(依頼中です)
5月(最終回)生田省吾先生(1978年10月~1981年3月ご勤務)です。 お楽しみに。
↑6月以降は毎月24日更新のホームページの内容検討中でございます。(「私の趣味・仕事」と地域を紹介する「特派員便り」は随時、絶賛募集中ですので、こちらもよろしくお願いいたします。)
きらりシュリンプ人に関しましてのご意見、ご要望、ご感想、この方のインタビューを聞きたい、ご紹介したいというのがございましたら、シュリンプクラブ広報事務局kentanshrimp@gmail.comまでお寄せ下さい。また、突然のインタビューを依頼するかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。
では、また24日にお会い致しましょう。 シュリンプクラブ広報事務局 16回生 渡部敦子