皆様、お待たせいたしました。若様こと、若林先生のご登場です。何ヶ月まえからの予告に渡部宛に、若林先生の記事が楽しみ、待ち遠しいとのお声を頂いておりました。はにかんだような笑顔は私達が学生時代にお見かけした、いつもの若林先生の笑顔そのものです。それでは、若林先生から頂いた原稿をそのままでアップしております、お楽しみ下さい。

(この拙文は『みゅーず』(18号)の「わが文学と人生」と内容が重複している部分があることをお断りします)

1.学生時代

当時は思考・感性をいびつにした戦争から突然解放されて、まだ数年しか経っておらず、受験勉強の精神の禁欲からも自由になり、私は大学の1年次の教養部のころは漱石や谷崎、太宰、さらに戦後の作家の作品などをむさぼり読みました。大学に入る前から夢中になっていた有島武郎の『ある女』の破滅的な愛を熱く生きた女主人公は私の夢想を支配しました。その後人間存在についての私の認識は、フランスの実存主義作家サルトルとカミユの作品にとり憑かれ、強い影響をうけました。大学の図書館で午前中からこのように至福の時を過ごし、そのまま講義を欠席することもありました。専門に進んでからはシェイクスピアの作品などに時間をかける必要がありました。
当時新潟の古町の映画館では、夏、夜の10時から安い料金で古い名画を上映しており、家庭教師を終えて私はときどき列に並んで「外人部隊」「七つの大罪」「パリ―の空の下にセーヌは流れる」などを観ました。帰途はさっきまでの映画での陶酔に浸りきったまま、静かな深夜の田舎道をゆっくりと自転車のペダルを漕いでいました。私も感性の過剰のなかに短い青春を生きる普通の若者たちの一人でした。

2.英文学科時代の想い出

前任校での学園紛争(学生の立場では学園闘争)に疲れ、短大にうつり、英文科の学生の優秀さと勤勉に驚嘆しました。いきなり2年生の「購読」でかなり厚いPenguin 文庫のE. M. Forster, A Passage to Indiaをテキストとして使用できたのですから。退職後他の4年制大学で教えたこともありましたが、わが英文学科の学生のレヴェルの高さを改めて実感しました。一方私はこの平和な環境のなかでそれまでの刺激的な体験を反芻・整理し、研究や作品の視点を深めることができ、また2年ほどの米国留学の成果も講義に生かせる機会を得て満足でした。
しかしまもなく短大の変革をせまられ、私は「将来計画委員長」として、教員定数削減と大学教員のありかたをめぐって県の総務部長や人事課長ときびしい話合いを行いました。この1年半の苦労の最中、講義だけがホットするひとときでした。講義がこんなに楽しいと感じたのは、前任校で学生のストライキが終わった最初の講義のとき以来でした。
私は学生にたいして文学の世界への刺激、あるいは挑戦として講読の時間に太宰治や大江健三郎の短編を朗読したこともありました。またあらかじめテープで録音したモーツアルトの室内楽の小曲を聴いてから講義(2年選択)に入ったことなどの脱線も忘れられません。学生にとっては迷惑であったかもしれませんが。
その他、彫刻家で幼児教育科の戸張先生の作品「トルソー」(彫金)と、それぞれに添えた私の詩作品で「二人展」を新潟市のある画廊で開いたこともささやですがひとつの出来事でした。またそれまで同人誌に発表した詩作品を集め、『瀆なる影』を出し、願望を果たすことができました(「瀆」=「みだら」)。
学生の就職先の開拓のため卒業生が勤務している会社を訪れたときの会社の責任者の言葉、「(英文科出身の)彼女たちはみな優秀です。先生が推薦していただける学生さなら文句なしに採用します。」も忘れられません。
しかしなんといっても、講義に耳傾けている学生たちが創りだす教室の光景が、いつまでも心に残るもっとも懐かしい思い出となっています。

3.老人妄語

現在私は記憶力の衰えを嘆きながら、のろのろとした乱読で過ごしていますが、私たちはAIやIT化などに幾重にも取り囲まれ、鏡のようにのぞき込むスマホによって日々見張られています。社会の出来事や私たちが生きている姿は、興味本位のスキャンダルに加工された映像の乱舞として、私たちは居間で真正面から眺め(させられ)ています。現在社会を支配している科学技術、経済的価値のフィルターで「文学」は周縁に遠ざけられていますが、「文学」や「哲学」は現実の表向きの姿を突き抜けて人間存在の内密で本質的イメージを示してくれます。かつての県短が4年制大学に昇格したことは大いに喜ばしいことですが、「文学・文化」と正面から関わることができた「英文学科」が消えたことは、きわめて象徴的におもわれます。文学への愛につらぬかれた私の人生を受け容れてくれたかつての「英文学科」にたいする強い哀惜の情は、決して消えることはありません。

いかがでしたか。短大時代は2年間と短いですが、私はたくさんの事を、若林先生から学んだ気がします。講読で読んだ、セールスマンの死、の主人公や、地平線の彼方、に出てくる人々の生き様、ハックルベリーフィンの冒険、代の人々の考え方など、社会に出てから、生きづらい時など、自分の身の振り方などを、考える時の指針になっていたような気がいたします。だから、皆さんも、若林先生、懐かしい!早く若林先生のご寄稿が待ち遠しいと仰っているのだなぁと拝察いたします。若林先生の原稿をそのまま、掲載しておりますので、若林先生に対しての「老人」だの「妄語」だの「拙文」と失礼である表現をそのまま、使わせて頂いている事をお詫び致します。

若林先生、力強い私達へのメッセージ有難うございます!

さて、来月からのきらりシュリンプ人にご登場頂く方々でございます。予告時点から、楽しみです、と反響を頂いている方々です。だんだんと、このきらりシュリンプ人も定着してきて、広報事務局としても嬉しい限りでございます。

6月 11回生 小林(旧姓 上石)よし子さん
7月 42回生 井原彩希さん
8月 39回生 加藤(旧姓 高倉)沙織さん
9月 関昭典先生 (平成11年度途中から18年度までお世話になりました)
10月 小谷一明先生 (平成12年4月からお世話になっております)
11月 39回生 伊藤麻衣子さん
12月 35回生 福山春南さん
1月 40回生 藤田郁さん
2月 39回生 金子愛里さん
3月 渋谷義彦先生(昭和56年4月からお世話になっております)
4月 37回生 増田(旧姓 鈴木)瑞穂さん
5月 36回生 徳井(旧姓 五十嵐)智美さん
6月 35回生 野原(旧姓 村田)知子さん
7月 38回生 松井祐香里さん
8月 37回生 土沼麻衣さん
9月 37回生 中村佳美さん
10月 35回生 池乗由佳里さん

ご意見、ご要望、ご感想、この方のインタビューを聞きたい、紹介したいというのがございましたら、シュリンプクラブ広報事務局kentanshrimp@gmail.comまでお寄せ下さい。また、突然のインタビューを依頼するかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。

では、また24日にお会い致しましょう。    シュリンプクラブ広報事務局 16回生 渡部敦子