いまだにエースは狙えませんが、中学から始めたテニスをずっと続けて、45年になります。
こんなにも長い間続けてきたことに自分でも驚いていますが、県短でのテニス部の懐かしい思い出から少し書いてみたいと思います。

・「中部公立短期大学交歓競技会」

当時運動部だった方は懐かしく思い出されると思いますが、毎年夏休みに開催される、中部地区を中心に11県の公立短大が参加していた競技大会がありました(残念ながら2005年に閉幕してしまったようです)。
私の在学中に、ちょうどこの大会の約10年に一度の幹事校になってしまいました。
軟式テニス部に所属していながら、「大学生になったからにはオシャレな硬式よね!」と、度々ラケットを硬式に持ち替え、自由に楽しんでいた私達に、テニスの正式種目は軟式だった為、当時体育の教授をやっておられた松木先生(みんな縄跳びのテストで苦しめられましたよね(笑))に、大会が終わるまででいいから軟式に専念しろ!と言われてしまいました。
勝手な解釈で張り切って硬式テニスをやっていた私達ですが、松木先生に逆らえるわけもなく、急きょ泣く泣く半年程、軟式テニスを頑張ったことも懐かしい思い出です。
今、こうして振り返ってみますと、私達運動部が競技に専念できたのも、幹事校として準備段階から当日までお手伝いくださった、たくさんの方のおかげと感謝しています。
なにしろ10県の県外からの選手団を新潟に招いたのですから、当時の県短の規模から考えると、責任者の松木先生はもちろん、準備のお手伝いをされた方達は、オリンピック並みに大変だったのではないかと、頭が下がります。

・放課後の教授とのテニス交流

一応の役目を終えた私達は、その後また度々硬式テニスをやり、放課後には、当時20代であった渋谷先生や村上先生、そして元学長の岸井先生(当時は教授)、松木先生らが時々やってきて、一緒にテニスをやっていました。
ある時、私がプレー中にコンタクトレンズを落とし(当時は使い捨てではなく学生にとっては高価なものでした)、ゲームを中断して教授であった先生方にも、コート中、捜させてしまい、無事見つけてもらったことは、今でも本当に申し訳なく思っています。
ただ、今思えば、そんなアットホームな中、とても自由な、そしてとても贅沢な時間を過ごさせてもらいました。

・卒業後〜現在

その後、職場でもテニスサークルに入り、結婚した後も夫が転勤族でしたので、新しい土地でテニスができる場を探して、多くの友人を作ることができました。知らない土地で友人を作る為にテニスをきっかけにしていたという方が合っているかもしれません。
テニスは一人ではできません。一緒にプレーしてくれる素敵な仲間との数々の出会いのおかげで、これまで続けてこれることができたと思っています。
今現在、週一回程のペースでテニスをやっています。
股関節や手の腱鞘炎等、あちこち痛みを抱えていますが、最近は身体トレーニングではなく、”どこに飛んでくるか分からないボールに反応する”という脳トレだと思って(笑)、無理のない範囲で頑張っています。

・サプライズ!

さらに最近、本当に長年テニスを続けてきて良かったと思ったことがありました。
なんと!元テニスプレーヤーの杉山愛さんにテニスのレッスンをしてもらえる機会に恵まれました。
常に笑顔を絶やさず、厳しいながらも前向きな言葉で指導してくれ、もういっぺんで魅了されました。
こんな素敵なことがあると、またテニスを続けていく原動力になります。
私のまわりでは、70才位では普通に一緒にプレーをしていますので、80才になった時に続けていられたら幸せだろうなと、それを目標に、あと20年は頑張ろうと思っています。