皆様、こんにちは。令和2年の冬は冬らしくない雪の少ない、青空の多い冬でしたね。そんな中、私がお世話になった、春風のようなふんわりとした笑顔の先生、平野絹枝先生を皆さんにご紹介したいと思います。私たちが学生の頃はお若くてチャーミングな先生でいらっしゃいました。しかし、平野先生のお話にもございますように、授業は予習をきっちりしていないと、私のような、中途半端な学生にはついていけないほど、厳しいものでした。今改めて、先生の思いを拝読いたしますと、先生の愛情と情熱の賜物であったのだと胸が熱くなります。それでは、皆様、平野先生のご寄稿をご覧くださいませ。

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1.学生時代

学生時代はどんな学生であったかを思い出すと、いわゆる真面目に勉強ばかりしていて他人から見てあまり面白くない学生だったと思います。高校卒業後は新潟大学人文学部文学科に入学しそこでは英文学を専攻しました。英語で書き上げるのに悪戦苦闘した卒論でしたが、英語学か英文学かどちらにしようか随分悩み迷った末卒論は英国作家コンラッドの小説「ロードジム」を選びました。中学生のころから漠然と心にひっかかっていた「罪とその償い」というテーマに魅了されたからです。大学生時代の日常はどうであったかといいますと講義と図書館と自宅の往復で、授業がなければ、すぐ図書館に行き、そこで授業の予習復習や読書に終日没頭するような生活でしたので、当時のクラスメートからは、キャンパス内で私をさがすなら図書館にいけばいいのね、と冷やかされたものです。友人から授業のノートを借りて試験勉強しようとしたら、なんと、それは、友人に貸して知らない間にクラスメートの間に回された私自身のノートの書き写しであるのを知って愕然とした時もありました。当時私の大学進学の理由は最初から明確で、将来高校の教師になりたいという夢があり、そのためには、大学でしっかり英語の実力をつけたいという願望がありました。ところが、入学して1年次後期は、大学紛争のためにストライキで授業が休講になり、自宅待機が長い間あり、せっかく大学に入学したのに学ぶ機会をうばわれたようで悶々としました。休講の間は、時々、クラスメートから電話で、「学内で議論しませんか」(テーマは、大学の自治、権利と自由とは何か、政治、生と死について、恋愛について、学問とは何かなど)とか、「デモに参加しませんか」という誘いが時々ありました。でも当時の私は、いわゆる「ノンポリ」で、デモには参加する勇気(?)もなく自宅でウツウツした毎日を過ごし読書などで気をまぎらわしたりしたものでした。社会の激動期の真っただ中で思索の時を与えられ良い機会ではありましたが、経済的に決して豊かでなかったにもかかわらず私の大学進学を支えてくれた母など家のことを思うと、しっかり勉強して卒業後は高校の教員になりたい気持ちが最初から強かったので、1年時の後期に授業がほとんど休講になった時は、学ぶ貴重な時間が無為に過ぎていくような思いがして残念でもありました。クラブ活動はといいますと、ESS(英語会話部)に所属しました。しかし、先輩後輩の流暢な英会話を耳にした私は自分の英語運用能力に劣等感をいだいてしまい、次第にクラブから遠のいてしまいました。大学卒業して高校教員になった1年後には教員を辞職してアメリカの大学院に留学し帰国した時には、英会話に多少自信がついていましたが、やはり今でも英語を実際使用して会話をすることより、専門書を読むことのほうがワクワクして好きですね。

2.県短時代の思い出

昭和52年後期から60年までの8年間県立新潟女子短大に講師,助教授として勤務しました。専門は英語教育学で,当時は「英語音声学」「英語科教育法」「英文学購読」などを担当しました。アメリカのイリノイ大学大学院(修士課程)に留学して昭和50年に帰国し、再び高校教員を経験した後に思いがけなく県短に赴任する機会を得ました。若さもあったと思いますが私はアメリカで学んだことを社会に還元して教育・研究に生かしたいと,いわゆる燃えておりました。未熟ながらも教えるのに必死でした。私の高校時代の同窓生の方も多く県短を卒業していたこともあって,優秀な学生が多い英文科に赴任できたことを当時私は大変うれしく思ったものです。1学年合計約80名(2クラス)の英文科の学生のなかに本当に優秀でレベルの高い学生が少なくなく教えるのにとてもやりがいを感じ充実感を感じました。ただし、授業で手を抜いてはいけないという思いが高じて,私の若さゆえの生真面目な授業に,厳しさや硬さを感じた方も少なくなかったかと想像しますと, 当時を思い出すだけでもなんだか気恥ずかしい感じもします。とにかく学生の英語の実力をつけたいと思い,担当だった英語の教員免許科目の中学校教育実習では,できれば4年生大学の学生に劣らないような英語力、授業力を学生につけて英語の教育実習現場に送り出したいものだと常日頃考えていました。研究室では,短時間ですが,希望する熱心な学生に時々個人指導をして学生の英語の発音のレベルアップに努めたこともありました。引率で中学校の現場にいくと,「県短の英文科の学生さんの英語の発音は,ほかの大学の実習生より,良いですね!」とほめられたりしたときは,とてもうれしく心の中でほっとしたものでした。「英語音声学」の授業では,発音を厳しく指導していたつもりですがそれが報われた思いがしました(当時の皆さんのなかには、そういう私を鬼のようだだと思われた方もおられたかもしれませんね)。「英語科教育法」で皆さんに読んでいただいた英文のレベルは今考えると高かったと思いますが,皆さんは努力してがんばってついてきてくれました。その後、昭和60年12月に上越教育大学に移り定年まで勤務しましたが,そこで担当した同様の授業では,多様な専門の学生が英語の教員免許を取得するために受講していたので,むしろ英語力のレベルが様々であり,扱うテキストの英文のレベルを県短で使用していたものより下げざるをえませんでした。「あー県短の英文科の学生なら,この程度の英文は読めたはずなのになー」と当時よく思いました。とにかく当時の県短の英文科の多くの学生の英語レベルはかなり高かったという思いがあります。卒業して銀行,旅行会社、塾などに就職した英文科の学生も少なくなかったので,私は短大を去ったあとでも,銀行や旅行会社などのカウンターで優しく接客している若い女性に会うと「失礼ですがあなたは,もしかして県短の卒業生でしょうか?」などと思わず尋ね,そうだったりすると,なつかしくうれしくなったものでした。英文科の学生の皆さん,そして当時の個性あふれる同僚の英語担当の先生方(元気あふれる若林先生,私の恩師でもある小野先生,優しい笑みの渡辺先生,そして生田先生、佐々木先生、村上先生渋谷先生、故人となられた杉山先生、大沢先生)からは,その後の人生を生きていく上での刺激を沢山いただきました。温かい目で育てていただき,私が今あるのは皆様のおかげだという思いがあり感謝でいっぱいです。

3.近況

5年前に,上越教育大学を定年退職しました(なお添付の写真は数年前の当時の写真です)。退職後は,新潟大学の非常勤講師として授業を担当しましたが,この2月でそれも終了しました。退職後も研究(英語のリーディング,テスティング など)をささやかに継続していますが,スポーツジムに時々行って健康に留意し,今年は5年前から始めた太極拳の技能検定試験の2段受験に挑戦です(現在の最高段位は4段ですが、私には絶望的なのでできる範囲内で楽しくやっていこうと思います)。太極拳は奥が深く,学ぶことが多く飽きがこないので,おすすめです。2段の一次試験受験のために,今は剣も習っていますがなかなか大変です。太極拳を練習していると学生の気持ちがよくわかります。
県短で教えていたのは,私が29歳から37歳で私にとって貴重な8年でした。当時,自分なりに情熱をもって講義の準備をしましたが,何せ若さゆえの未熟さがあり、それにもかかわらず私の授業を皆さんは熱心に受講してくださり逆に多くの刺激をいただき、県短時代がなかったら今の私はなく、繰り返しますが皆さんには心から感謝しています。恐らく他のかつての教職員や卒業生の皆様と同様,強い哀惜の情は決して消えることはなく思い出すと懐かしくて懐かしくて胸がキュンとなりそうです。世界には紛争,飢餓、迫害などがよく起こっていますが,自分を静かに見つめる余裕をいつもキープしていきたいものだと自分に言い聞かせ、今後も新しい事に自分の体力(昨年思いがけなく帯状疱疹ができて入院を経験)や気力を考えながら挑戦して、不器用ながらも心をこめて生きていけたらいいなと思います。県短の思い出は,私の一生の大事な宝物です。町のどこかで私を見つけたら気軽にお声をかけてくださいね。皆様お元気で。

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平野先生、ありがとうございました。拝読しておりましたら、県短時代を思い出して懐かしくなりました。心をこめて生きると仰った先生のDNAが私達に脈々と受け継がれているのも感じました。県短は有難い存在でしたね。

さて、来月以降のご寄稿をご快諾下さった方々のご紹介でございます。
3月 41回生 稲毛田(旧姓 水藻)佑花さん
4月 9回生  中田(旧姓 前田)のりさん
5月 26回生 桑原(旧姓 木村)澄子さん
6月 3回生  丸山(旧姓 小林)れい子さん
7月 26回生 小島早苗さん
8月 30回生 長谷川昌子さん
9月 5回生 菊池修子さん
10月 29回生 松野(旧姓 太田)典子さん
11月 ご検討中
12月 32回生 澤野智美さん
1月 交渉中

きらりシュリンプ人に関しましてのご意見、ご要望、ご感想、この方のインタビューを聞きたい、ご紹介したいというのがございましたら、シュリンプクラブ広報事務局kentanshrimp@gmail.comまでお寄せ下さい。また、突然のインタビュー依頼するかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。

では、また24日にお会い致しましょう。 シュリンプクラブ広報事務局 16回生 渡部敦子